ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

マイノリティとしての絶対音感話者

音楽は書き留められないし、というか、私にわかる方法で記しても誰にもわかってもらえない、だから振り付けの絵を描くのかも、楽譜の読めない人、音が音名で聞こえない人に伝えるために、私の言葉を知らない人のために。

 

世界は絶対音感がある人のために実装されていない。歌詞で旋律を覚える人だけが優遇されている。たとえばメイリオで均質に脱色した音を放送できるのは当たり前のことだけど、Twitterにキーボードはあっても鍵盤はついてないし、旋律を再生する、音声や動画の拡張子ではない、ミニマムな規格が備わっていない。私にとってその二つはほとんど同じものなのに、一方はあたりまえに人と共有できて、もう一方はこんなに隔てられている。歌詞のある音楽に救われたことなんかない。あんたたちがそれ以上分解できないで言葉や物語のせいにしてしまうのは、ただちょっと備えられただけの大嘘。歌詞のある音楽がきらいだ。歌詞がなくたって十分美しいのに、それはほんとうなのに、けっこうな割合の人が、ただ教育が、機会がないからそれを知らない。

あえていうけど知らない言葉を喋ってるんだよね。別に同じものを聞いて同じように気持ちいいけど、なんで気持ちいいかというと、全部物語のせい。片方の要素がわからないから。1次元分が見えないから。独占性を利用した大嘘なのでアーティストって全部クソだと思います。