ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

釘崎と西宮桃の問答について

 

ツイッターだと長すぎるんでブログにしました。

表題の通り、真希を代弁する桃の件なんですけど、初読でまず、ああ、こういうのがまさにフェミニズム的な枠組みの欠点だよなあ、という感想を持ちました。先のツイートでこの行為を「代弁」と言ったのはつまりこれで、自分の経験を他の女に敷衍し押し付けてしまうこととか、逆に、他の女の経験を過度に一般化し体系に還元するとか、典型的じゃないですか、揶揄したかったんです。オタクくんはさっき、西宮桃の行為を引き真依も真希も(釘崎)同性モテするよね、双子たちなんだかんだ似ててかわいいね、っつったけど、西宮に関しては、真依は単に好かれているだけではない。

ともかく、西宮桃が真希に共感するのが後者で、勝手に代弁し説教したのは前者です。とくに前者のバリエーションとして、若い女を年上の女が(結果的に)呪い落としてしまうやつがあり、まあいうて西宮桃と野薔薇は2才しか離れてないし誤差みて〜なもんだけど、支障あるしもっと一般化しとくか、「性差別を実感してる女がしてない女を呪う」です。

これを釘崎は鋭敏に感じ取り(なんせ彼女は少年漫画の女らしく入力に官能的で、呪術廻戦の女らしく挑戦的で気が強いので)(オタクうるさいよ)、「恵まれた人間が後ろ指差されりゃ満足か?」「テメェらだけで勝手にやってろ」と応じるわけですね。引きずり込まれかけて、撥ねつけるんですよね。

 

ここらへん見事だなって思いますね、普通に解像度高いんだよね。西宮の、慰撫としての「カワイイ」とかもね、こう、男性だと一定以上の世代では書けないし、若くても個人差のかなり出るところだと思う。諫山創はけっこうフェミニズム得意だけど、なんていうか毛色が違うよね。石田スイなら余裕でやれそうだな。どうかな、ジャックジャンヌ読んだらわかりそうだな、早くやりたいんけど金ないし働く時間ないし、つうかまだSwitch本体すらないんだよね、つまり、若い女の思考回路としてのリアリティ、女の体を持って生きる現実の手触り、「生活感」みたいなやつよ。芥見下々という作家はある程度それを把握しているっぽく正直ちょっと感嘆しており。臨床心理学と無印の心理学の違いみたいな。モテたり姉妹がいたりする男性の臨床ナオンさん学と、ネットに入り浸る異常ヘテロ男性が脳内で架構した観念的非実在ナオンさん学みたいな。知らんけど。ていうか私も女のことそんな知らんけど!(自戒)(自戒で締めるの大好き!)(今日はここまで!ご静聴ありがとうございました!!)