ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

ふわふわ

自分にわかることしか自分にはわからない。耳の穴の形がおもしろい。まつげが物に当たって立てる音がおもしろい。自分にわかることをわかったままの形で書く。たとえば、わかることをわかったままの形で書いている他の人に、憧れてはいけない。十分な試行回数をやる時間も興味もなく、それでも自分に残るものがあって、それが歪でも、受け入れなきゃならない。自分に需要のある自分になりたいという思いが心の運行をつっかえさせるなら、やめるといいのに、やめられない。

わかることをわかるまま書くと贅肉がないし、贅肉がないという表現のことはわからないままだ。それでもってこの文章は読みにくいと思う。意味をちゃんとつけよう。色をつけよう。悔いたり、逆張りしたりしてみよう。着飾ることは遠回りで、遠回りのしかたにこそ私がいて、そういうのも愛してやれるといいよね。

 

耳の穴の形はおもしろい。自分の指が小さいちんちんで、自分の耳とセックスできたらいいなと思う。でもちんちんというものの径と長さに耳の穴は合わないような気がする。じゃあなんだ? 指がスライムにでもなって、スライムでありながらすべての表面に触覚があって、その遠さが統合されて、穴の凹凸が余すところなくわかる。慎み深い鼓膜を撫でてやって、その音が聴こえて、ちょっとにっこりする。それだけ