おもしろい書き出しずっと練ってたけど、いいの思いつかないからもうシンプルにいきます
ずばり
ストラテラで性欲が滅殺されると淫夢をやたら見るようになるんだ
この前は男性の会陰を揉んで射精させる夢を見たよ やりながら「これ金取れないかな〜」って思ってたから、多分金取れなかったんだと思う、2人ぐらい触って終わらせてさて次はいよいよ私がちやほやされる番だったのに目が覚めたよ は?
他にも様々なパターンの淫夢を見てるけど会陰もみもみの他はあんまり公言したくない筋立てのやつが多いからここでは言わないよ 会陰もみもみは完全にルーツがわからないし普段こんな題材では抜きません、というか生まれてこのかたこんな題材で抜いた覚えはありません、お母さんはこんな子に育てた覚えはありません(育てる「私」、育てられる「私」)
ちゃんと起きてる時の自慰がとにかくもうどっちらけの超お葬式であまりにも事務的に終わってしまうのね
実演したらせいぜい5分とかそんぐらい簡易的にでも、さまざまに好き勝手シチュエーションを練るような回路がどうも閉ざされててそっちにいけないわけ
起きてる間はおくすりのせいでいろいろ抑圧されてフラットになっちゃってるから、性的なファンタジーや性的でないけど見苦しい願望についての妄想を夢の中で繰り広げてるみたいなんだけど、夢の中までは追いかけて来ないでしょう、それがキャピュレットとモンタギュー両家のパパママとかならちょっとロマンあったけど、お代官様が、薬物だからね、しかも、追っ手から逃れたところで会いたい人もおらず、毎回即席で二度とは会わない顔もぼんやりした男だったり女だったり9:1ぐらいで付き合わせてるんだよ。あの人たち普段何してるんだろうね。私が昼間トロい脳を叱咤してレポートなどと悪戦苦闘してる間無意識下ですげえメモリ食って処理重くしてなにやら働いたり寝たり食ったりこう、なにやら生活してんかな、度し難いな
ところで私はまだ夢の中で何度も同じ場所に行くっていうのを経験したことがないんだよね、そういう話他の人がしてるの見て地味に羨ましいんだよね、去年あたりの記事で「夢が詳しくなった」「歯が抜ける夢を初めて見た」って書いたけど、そういう通念は、私を疎外するのは、まともに機能するタイプの脳環境が作り出したものだって思ってるんだけど、同じ場所に行く夢も、また薬の量上げて、シナプス間隙に物質をもっと増やしたら見られるようになるかな
さあ……(しらんよ)
適量だとめためた眠いのに目がカッて目の前のスマホに吸い寄せられて質の悪い過集中キマって絶対眠れなくなる、一方過量だと細かく見えすぎて視界閉じてないとだるいみたいになる、ストラテラくん不思議で奥深いですね
夢で同じところに何度も行く人とそういうの一切ない人の遺伝的な差とかあったりしないかな、ジーンライフとかでそういう項目あったらいいネタだと思うんだけど
まとめ
起きてる間はお代官様(スちゃん)が見張ってるから願望などをもとにモリモリ妄想する回路が開かない→起きてる間にむりなら寝てる間に飛翔するんじゃ→(主に)淫夢
この因果は独断に基づきますが たぶんそうだと思うんだよ クオリアがそう言っているのでそうです
おしまい
いいかげんリーガルハイ見ますわ
お夕飯たくさん盛りすぎてしまったのですわ
「学期末ですが、改めて、あなたにとって音楽とは何ですか」みたいなやつ
音楽でAAもらった記念にブログに置いとく
なんて出題だったのかあんまよく覚えてないけど
大喜利に本気になっちゃって、のたうち回って苦しんでいたら提出期限過ぎた
この記事へのアンサーっぽい
歌詞があって、ボーカルのいる、演奏者などにまつわる過剰な物語性を伴う音楽だけを、「音楽」と呼ぶ人が多くて寂しく思います。自分が主体として、責任を持って演奏すること、そのために、お粗末な、しらけた段階から地道に積み上げること、まとまったひとつの音楽らしい形を手に入れたという感触、その結果たまにドロップする、他人の感情を動かした嬉しさなど、
そういうことを排除されてるなと感じることがあります。音楽は、それなりに多くの人にとって、日常的には、聞いて受容するだけのものです。
クラシックが周縁化されてると言いたいわけではないのです。私はあまりクラシックを聞きません。ピアノを長く続けた人などと、「あの曲いいよねー」「あれ弾いたことある?」的な、「わかってる風」な会話ができません。文学部的にいえば、おそらく、「奥さん譲渡事件わかる?」みたいなやつです。
たくさんの人が、好き勝手な範囲をてんでに「音楽」と呼びます。そしてそれと、表される内容の結びつきの確かさを信じています。
人から支持されてなんとなく持ち上げられてるものが全部羨ましいです。言葉にされて、人と人とのつながりの具にされてるものがすべて羨ましいです。かといって、そういうのを乗り越えようと、さまざまなジャンルを鑑賞したり、演奏して自発的に人目に晒されたり、作曲して発表したりとかは、してきませんでした。浅い関係の集団で話題についていくために流行りの曲を聴くとかもしたことがありません。
自分にとって音楽は、一貫してもっと私的なものでした。私的で、削られない、豊かなものでした。それを他人に分与すると、驚くほど喜ばれたり褒められたりします、それで自分の手の中にすでにあるもの、信じてきたものが、豊かなことを知りました。他人に語られてフィードバックされる自分の残像が好きでした。
そういう、私が主体である素朴な音楽と世間一般の「音楽」はかけはなれているから、そしてそれを信じる人があんまり多いから、腹が立ちます。私の経験をなかったことにするような定義が侵食してきます。そして自分はそれを拒めません。私も共有されたもにょもにょ圏の中で他の人と共に生きていて、もにょもにょの中のひとつである「音楽」という言葉は、他人のものでもあるからです、ゼロサムだからです、そして、私を侵食してくる人たちに、私の音楽を聴いてもらう機会がなく、「音楽」の中の私の地位を、押し返すことができませんでした
あーあ
こうやっていつまでもなんもおもしろいこと言えないで共感ももらえないでインターネットの隅っこでだらだらしてんのかな。権力がほしくて始めたんじゃなかったの、人に見てもらいたくてやってるんじゃないの、違うの
課題でポエムを錬成してしまったので供養します
5、日本の現代文化や、または世界の文化などについて、現在あなたが興味を持っていることを説明してください。
文化がよくわからないです
音楽があったから中学校では不登校にならず、音楽がなかったから高校では不登校になったと思います 音楽という言葉は特定の集団の間ではいつも歌詞のあるポップミュージックのことを指します そういう疎外が苦しいです べつに音楽に限ったことじゃなくて、私はだいたいいつもこうです 自分がわからないことがあるのをみると羨ましくなるし、かといって自分を疎外したものに歩み寄る必要ないなって思います なぜ一人にしておいてくれないのかわからないです そういうのが文化なのかなと思います こういう文章をどこかで読んだことがあります 私は自分で考える前にそれの中に取り込まれました そういうのも文化だと思います とにかく19歳でこの大学にいるようじゃもうだめなんです 文化を作り、他人を疎外したかったですが、仕返しをしたいのですが、頭が悪いから全部だめです
・ラストは(特にその場で)そんなこと言いたくないので改変した
・しかしこれだと文意はともかくリズム感がブチ決まってるから捨てるには惜しかった
・属性に転嫁すんなすぎる
庭木
というか鉢植えの木があってだな
ぴこぴこ生えてきたあどけない芽を私の名前の木のためには抜かなければならない
風に乗って飛んできてやっと根付いた土から引き離す
あまり幼いうちに抜いたやつは、水やりしてると、白い根を丸出しにしたまましばらく生き続けていたりする 葉が緑のままだからわかる でもそのうち死ぬ
土とシュートの一部が手にくっついてる 今二、三新しい命を殺した罪を、私よりいくらか長く生きても鉢が狭く根を張れないのでいっこうに大きくなれない、毎年新しい枝を揚々と伸ばしては次の年にはいくらか枯死してしまう、これはこれでかわいそうな木のために、、ために注ぐ、薬罐一つ分の流水で、雪がれるよう祈り、手についた罪の痕を濯ぐ
ちなみに一般的にこのようなささいな悪行には誰も報いてくれないので、鮮やかに目覚めた自覚はそのたびに枯死して、この木のように私もまた、ある角度には二度と手を伸ばせない 輪切りにされたら年輪がいくつあるかも知れようけどまだ奪わないから幹は十年前と同じように細いままそれでも毎年新芽を開き南を望むかわいいね
おもいだしわらい
東大生の知能指数の平均値情報を見て、なぜ私は東大に入れないのだろうと思うわけ。そのあと、知能検査で東大の入学試験を行ってくれれば、必ずや私は合格ラインに届くだろうと思うわけ。そしてそれは間違っていて、
知能指数だけではなく、実行機能や動機の強さや家庭環境などを含めた総合格闘技が東大の入試であるからこそ、東大生の知能指数の平均として提示されるさまざまな数値は、その程度に留まっているからだ。もし単に知能検査で合格者が決まるなら、私は足切りラインに乗れるかどうかわからない。それがウェクスラーの全検査であってもそうだし、他の様式の知能検査だったら、さらにわからないな。
高校数学あんま知らんけど、振るサイコロの数、つまり要項が増えることで、その一要項に過ぎない変数の足切りラインは、その程度に留まっているんだよね、っていう、簡単な話ね。
鶸
ただ逃げ続けていることを、潔癖だと、気品だと、褒められたりするよね。みんな見たいものを見てるだけ。許されたり、認められたりすること、いろんな人の私と同じような貌をした瞳に、見えるものが全然違うことは、気楽で孤独でいいな。その緩やかな温度の内側で、手を離しても滑り出す機構を、眺めるのも安楽
時期不明