ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

でも

でも「難しいものを読んでいる人はセルフイメージの維持のためにそうしているに違いない」みたいな陰性感情を、知的境界域と進学校の落ちこぼれがせめぎ合う汀のようなFランにいると実際に持ってしまうことがあり、ちょっと難しいです

 

近代文学の演習や講読で衣服だけ一丁前の男が他者の発話にかぶせて「要するに」って言うとき、それは男性的な支配欲の現れでしかなくまったく「要せていない」。抽象化したり方向性が定まったりはせず1から延々と具体的な話題が続く。ので、「要するに」という言葉に警戒心を持つようになった。「要するに」、会話の主導権を寄越せというマーカーでしかないのだ

 

同様に「値上げを受け入れている」会見で黒田が「賃上げの必要性がより高まっているというコンテクストで申し上げた」っていってたけどこれをニュースで見て「コンテクストってバカな大学生がイキって使う言葉じゃないんだ!」って言ったら母親に「お前がバカなんだろ」って蔑まれた。そうかもね

 

バカしかいない集団でバカをバカにして過ごしていると思考が狭まって本当にいいことが何一つない 劣等感を持たなくて済むというだけ、でも実際のところ優越感もすごく体に悪いからプラマイゼロ

 

 

(2022年7月7日)

呪術解釈めも

女性に発現する場合天与呪縛ってわりと性的二形破壊システムだよね。だから真希と真依のスタンス(単に結果かも)の差異ってわりと納得感あるんだよね。システムってほど発生率高くないか。それに性差別はべつに個人が性的二形(全体の傾向)を反映していること、というか性的二形の反映度合い?に従って程度が決まるものではないしな(イエスバトラー)

結局何?さあ…

「イェレナはハンジのアンチテーゼかも」の話もそのうちしたい、ごめん嘘、したくない、めんどくさい、読みたい人はオタク垢みにきてくれ

釘崎と西宮桃の問答について

 

ツイッターだと長すぎるんでブログにしました。

表題の通り、真希を代弁する桃の件なんですけど、初読でまず、ああ、こういうのがまさにフェミニズム的な枠組みの欠点だよなあ、という感想を持ちました。先のツイートでこの行為を「代弁」と言ったのはつまりこれで、自分の経験を他の女に敷衍し押し付けてしまうこととか、逆に、他の女の経験を過度に一般化し体系に還元するとか、典型的じゃないですか、揶揄したかったんです。オタクくんはさっき、西宮桃の行為を引き真依も真希も(釘崎)同性モテするよね、双子たちなんだかんだ似ててかわいいね、っつったけど、西宮に関しては、真依は単に好かれているだけではない。

ともかく、西宮桃が真希に共感するのが後者で、勝手に代弁し説教したのは前者です。とくに前者のバリエーションとして、若い女を年上の女が(結果的に)呪い落としてしまうやつがあり、まあいうて西宮桃と野薔薇は2才しか離れてないし誤差みて〜なもんだけど、支障あるしもっと一般化しとくか、「性差別を実感してる女がしてない女を呪う」です。

これを釘崎は鋭敏に感じ取り(なんせ彼女は少年漫画の女らしく入力に官能的で、呪術廻戦の女らしく挑戦的で気が強いので)(オタクうるさいよ)、「恵まれた人間が後ろ指差されりゃ満足か?」「テメェらだけで勝手にやってろ」と応じるわけですね。引きずり込まれかけて、撥ねつけるんですよね。

 

ここらへん見事だなって思いますね、普通に解像度高いんだよね。西宮の、慰撫としての「カワイイ」とかもね、こう、男性だと一定以上の世代では書けないし、若くても個人差のかなり出るところだと思う。諫山創はけっこうフェミニズム得意だけど、なんていうか毛色が違うよね。石田スイなら余裕でやれそうだな。どうかな、ジャックジャンヌ読んだらわかりそうだな、早くやりたいんけど金ないし働く時間ないし、つうかまだSwitch本体すらないんだよね、つまり、若い女の思考回路としてのリアリティ、女の体を持って生きる現実の手触り、「生活感」みたいなやつよ。芥見下々という作家はある程度それを把握しているっぽく正直ちょっと感嘆しており。臨床心理学と無印の心理学の違いみたいな。モテたり姉妹がいたりする男性の臨床ナオンさん学と、ネットに入り浸る異常ヘテロ男性が脳内で架構した観念的非実在ナオンさん学みたいな。知らんけど。ていうか私も女のことそんな知らんけど!(自戒)(自戒で締めるの大好き!)(今日はここまで!ご静聴ありがとうございました!!)

マイノリティとしての絶対音感話者

音楽は書き留められないし、というか、私にわかる方法で記しても誰にもわかってもらえない、だから振り付けの絵を描くのかも、楽譜の読めない人、音が音名で聞こえない人に伝えるために、私の言葉を知らない人のために。

 

世界は絶対音感がある人のために実装されていない。歌詞で旋律を覚える人だけが優遇されている。たとえばメイリオで均質に脱色した音を放送できるのは当たり前のことだけど、Twitterにキーボードはあっても鍵盤はついてないし、旋律を再生する、音声や動画の拡張子ではない、ミニマムな規格が備わっていない。私にとってその二つはほとんど同じものなのに、一方はあたりまえに人と共有できて、もう一方はこんなに隔てられている。歌詞のある音楽に救われたことなんかない。あんたたちがそれ以上分解できないで言葉や物語のせいにしてしまうのは、ただちょっと備えられただけの大嘘。歌詞のある音楽がきらいだ。歌詞がなくたって十分美しいのに、それはほんとうなのに、けっこうな割合の人が、ただ教育が、機会がないからそれを知らない。

あえていうけど知らない言葉を喋ってるんだよね。別に同じものを聞いて同じように気持ちいいけど、なんで気持ちいいかというと、全部物語のせい。片方の要素がわからないから。1次元分が見えないから。独占性を利用した大嘘なのでアーティストって全部クソだと思います。

にゃんね

なんでこう非生産的な方向にばっかり筆が乗るんだろうね。ほんとしょうもないよね…美意識もプライドも、もっといい使い方が他にあるよね…

でも筆が乗って筆に乗せられてるのやっぱ楽しいんだよね。排泄みたいなもんだから大目にみて…

精神疾患と才能

強迫性障害 うざい」って検索してたら「強迫性障害 天才」ってサジェストを見つけたので、さすがにちょっと笑ってしまった。

 

私は変なオタクで、一部の精神疾患についてネットで調べるのが趣味なんですよね。そうなるとその過程で頻繁に「ADHD 天才」「ASD 天才」「発達障害 天才」「統合失調症 天才」みたいなサジェストを見かけるわけなんですよ(これ、精神疾患オタクじゃなくても発達系の当事者なら多少わかってもらえるよね?)。で、そういうのをクリックして覗いてみたことが何度かあって、その度に同じようなことを感じていたんだけど、、なんていうか、なんていうか、さすがに今回ばかりは、、、ああ、そういうおきもちの動きって、こう、普遍的なものなんだな、って"""理解(わか)"""ってしまった。

 

さすがに「強迫性障害 繊細」の間違いじゃないか?

と思ってよく見てみたけど、やっぱり「天才」だった。

聴覚優位の面目躍如である。うーんこの

 

 

つまりね、「統合失調症 天才」ならまだわかるんですよ。草間弥生とかムンクとかいるしね。ああいう鬼気迫るすさまじい作風に惹かれる気持ちはわかんなくもないよね。「ASD 天才」もわかる。サヴァン症候群とかあるし、これは統合失調症よりもっと「わかる」。「発達障害 天才」はさらに「わかる」。ADHD村、アスペ村、学習障害村をいっしょくたにした「発達障害」という雑概念に「天才」を結びつけるの、もうめちゃくちゃよくわかってしまうな。「発達障害」っていう概念は、その内訳や、内訳のそれぞれの特徴より人口に膾炙してるだろうし。

 

しかし「強迫性障害 天才」だよ。さっきも述べたけど、「強迫性障害 繊細」ではないんだよ。「天才」ときたもんだ。これすごいよ。

たとえば「パニック障害 天才」は「統合失調症 天才」に比べてだいぶ奇妙でしょ。「強迫性障害 天才」が私に衝撃を与えたのはつまりそういうことで、こんなに天才性と関係なそうなびょうき(根拠になりうるミームがネットや本に少なそうなびょうき)にまでも、人はそうやって求めるんだなあって。かなしいね。

 

鬱や躁鬱ならまだわかるんだよね。でも強迫はちょっとさあ。さすがにさあ。ピンとこないっていうか。たぶん病前性格だけが念頭にあるのでは。うーん。

 

かなしいといえば、私は自分の知能検査の結果を根拠にこういう言説(というか、"""言説"""とその需要を強烈に予期させるGoogleのサジェスト!)に対して過剰に反感を持っていて、その話をするとまた長くなるけど、そういうのもまた、とてもかなしい……

 

「天才性と結び付けられやすい精神疾患」って検索したら、2こめにこれが出てきたよ。とてもきびしい……

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E8%2587%25AA%25E5%25B7%25B1%25E6%2584%259B%25E6%2580%25A7%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25BD%25E3%2583%258A%25E3%2583%25AA%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E9%259A%259C%25E5%25AE%25B3

 

 

 

 

強迫性障害 うざい」はさすがに差し障ろうな〜と思って、同じように「強迫性障害 天才」がサジェストに出てくる検索ワードを探した結果。

強迫性障害 性格」→でない

強迫性障害 病前性格」→でない

強迫性障害 性格 特徴」→でない

強迫性障害 性格悪い」→でる!

強迫性障害 セロトニン」→でない

強迫性障害 巻き込み」→でない

わかったぞ。

分析的な検索ワードのサジェストは分析的(かつ、たぶん、建設的)なものになり、一方、フワッとした観念的な検索ワードのサジェストは同じようにフワッとした観念的なものになるんじゃないか。

「うざい」と「性格悪い」では、さしさわり具合も大差ないだろうと思い、「うざい」のままにした。

強迫性障害(強迫神経症)と愛着、「巻き込み型強迫」 | 岐阜県多治見市の心療内科・精神科 水谷心療内科|ネット予約可能

 

そんなわけで、「発達障害 天才」「ADHD 天才」「ASD 天才」を何度となく見かけたことのある、ぼくの浅はかさと煮詰まり具合(現在完了)が露呈してしまった。はずかし〜!

 

 

オチをつけて締めようと思います。

ご静聴ありがとうございました。

 

 

 

当記事で「かなしい」とか「笑ってしまった」とか言われている対象は個々の疾患や障害やその当事者じゃないことを断っておきます。読めばわかると思うけど一応