ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

花壇の傘

ツイッターで書いたもの。

元のツイート↓
https://twitter.com/ningensikkakusu/status/810357537736249344

 

 

 

 花壇に傘が刺さっている。
 僕が見たところ、三十度くらい。鋭角だ。サインでいえば二分の一だな、などと、脈絡のないことを考えていた。ただ、じっと眺めていた。
 前後のことが思い出せない。僕は百年の昔から此処に立っていた。今この瞬間に此処に、花壇の前に発生した。それとも……。
 白い傘だ。きらきらと細かく光る、きめの細かい肌だ。肌? ……肌なのだ。これはこの、美しい傘の肌なのだ。骨は銀色、肌は白、くにゃりと曲がった手も象牙色。傘は僕に微笑んだ。僕も笑い返した。

 

 花壇に、傘が刺さっている。
 三十度くらいだったのが、ゆるゆると持ち上がって、九十度になった。
 花壇に傘が屹立している。すっくと立って、上を向いている。僕もつられて空を見上げた。
 凱風快晴なり。そそり立つビルの隙間に見える空は、まっさらな青い色。朝だ。
 それでは僕のいる此処はどこなのだろうと、急いで周りを見渡すと、ビルの根元は遥か下にある。ううむ、しかし梢も遥か上にある。……
 真っ白なビルの、地上と上天界の、中間地点。
 ここに透明な足場を以って、僕は立っていた。傘も立っていた。僕は傘に笑いかけた。傘は嬉しそうにさわさわ揺れた。

 

 花壇に傘が刺さっている。
 前後の記憶がない。僕は此処にいる。立っている。それとも、僕は此処にはいない。どころか僕は此処ではない他のどこにもいない。
 傘はくしゅんと泣くような音を立てて開いた。それまでまっすぐ立っていたのが、ゆらりと斜めに傾いた。
 華やかで豪奢な半球体。何の飾りもないのに、そう思えた。透けて白い肌。天へ伸びる銀色の骨。細かい光の粒々を纏っている。柔らかい朝日に射されて、彼女は美しい。
 もはやどうしても立ってはいられない。傘の前に沈み込んだ。敬虔に膝をつく。項垂れて祈る。

 

 僕を許してください。

 

 彼女の美しさが、僕をそんな気持ちに誘った。何もしていないのに、どこか後ろ暗いような気がするのは、……何もしていない? 僕は恐ろしい罪を犯したじゃないか。……この、異様な美のせいだ。
 百合花。
 そう、彼女は百合の花がいい。花壇に一輪、咲いた百合花。日を受けてきらきらと輝く白い花弁。咲き誇る若い女。嬉しそうな無邪気な、しかしひそかに傲慢な、そんな美しさ。

 

 太陽の滑る音が聞こえる。こおお、こおおと、聞こえるか聞こえないかの、かすかな音が聞こえる。天球の定められた線の上を移動しているのだ。ただしそれは僕には見えない。

 

 傘がことりと動いた。わずかに向きが変わった。
 何かなと思った一瞬の後、水飛沫を浴びた。雨だ。
 雨だ。開いた傘が、雨を噴き出している。
 白い傘の内側から、熱帯のスコールのように水飛沫があがっていた。昇ってきた太陽の下、雨の雫の一粒一粒が、虹色にきらめく。青くどこまでも深い空に、彼女の雨が立ち上る。細かい光の粒たちが、うねり、ゆらめき、回りながら、踊るように天に昇ってゆく。
 僕は避けもせずそれに見入った。傘はもはや、夥しい雨粒のために、どこにも見えない。

 

 天に昇った雨粒はやがて世界中を覆い、真っ白に染め上げた。雨が昇り、雨が降り、僕は彼女に包まれた。

 

 僕を許してくださるのですか。罪深い僕を。

 

 数百年が過ぎた。世界は今も白いままだ。
 どこかで、かすかな声が、きゃらきゃらと笑っている。それはきっと、彼女だ。僕はもう目も耳も持っていないけれど、それだけは確かなことだ。
 美しい傘が、無邪気に喜んでいるのだ。……何を? 何かを。僕は永遠に知ることもないであろう、何かを。
 この上なく美しい白、陽の光を受けて輝く。清潔で、清浄で、一点の曇りもなく、それでいて、盲目だ。
 僕は久遠を此処にいる。傘の咲く、この花壇の中に。
 雨が昇り、雨が降り、彼女の内に包まれて。

 

 陽は昇り、陽は沈み、花壇は永遠に朝である。