ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

手放すための

出オチ感。

 

 

 

 

言葉に置き換えてしまうと自分のものではなくなってしまうからと何も言わない。怖くないのに。言葉として切り出した後にはみ出した形を見られない人がそういうこと言うんじゃないの?

自分はやっぱり言葉についてあまりにも知らないのかな。頭が悪いのかな。備えるべきものを備えていないのかな。「通じる言葉」を喋れる人たちだけがそれを共有している。それ、つまり、言葉に置換した時の居心地の悪さ。先述の通り。

 

言葉として切り出した形が鋭角でも、自分が何を切り出したかなんていつまでもわかるのに。言語化する時の変質さえ、そこにあるものとして認めてやればいいのに。言葉に重さなんてない。羽のように、あなたを手放すための形だ。手放すために何度も語り直す。未熟で不恰好な喉を通して語り直す。何度も。

 

だらしなく際限なく平凡に続く全てのうちの一つで、だからこそ君を招きたかった