ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

音楽を聴かない

音楽を聴かない。聴こうとしない。他人のシェアしたリンクを踏まない。踏んでも5秒でブラウザバック。興味が持てないのだ。自分はつまんない奴なんだろうか。感受性の鈍麻した性格老人なんだろうか。(性格ブス的な意味で)

 

「歌詞のある」音楽を聴いて、動画投稿サイトやサブスクリプション型音楽サービスのリンクをツイートで表明する。それについてどういう点についてどうだ、しかしどういう点についてどうだ、自分はこの曲にどういう思い入れがあり、自分と浅からず関わってきた人間の一人がこの曲を以下略、と語る。語らないこともあり、その場合も小文字が並んで青く光る。普段そのアカウントの言葉は主に仮名と漢字が喋るのに。疎外感。これは疎外感というのだった。音楽を聴ないのはつまらないことだろうか。慰めを歌詞や和声や旋律に、求めない感受性は無味乾燥、置いてけぼり、分かってない奴、そうなんだろうか。では、というか、自分はとてもそういう類のものを聴こうとは思えない。「病んでると病んだ曲ばかり聴いてしまう」って訴える女の子がいて、イヤホンを片方貸してくれた。4分ちょっと傾聴した。正直しゃらくせえと思っていたが、どうもそういう傾向は少なくない人にあるようだと最近気付いた。その人とは当時親しかったので、しゃらくせえと思って申し訳なかった。しゃらくせえと思った時点で、自分の内側に、音楽の好みと精神状況が同調するという観念がなく、自分以外の人がそれを共有するらしいことを知っていて、それを良く思っていなかったということだと思う。

他の人の少なくない数がそうなのに、自分はなぜそうではないのか。自分がそれのファンであるアーティストがいない。そもそも聞かないので、精神的に切迫してる時に、音楽の好みが変わるのかわからない。

 

「音楽 精神状態」

「音楽選好 心理」

「暗い曲が好き 心理」

「暗い曲が好き メンタル」

「メンタル 聞く曲」

「病み曲」

 

「自分が抱えているのと同じような悩みや苦しみが歌われた曲を聴くと、自分の悩みが肯定されたような気持ちになって、少し楽になれますよね」「そんなふうに傷ついたり落ち込んだときに聴くと、あなたを癒し、共感する1曲が見つかるはず!」

「【暗い曲】落ち込んだときに聴きたい!邦楽・洋楽のおすすめ名曲を紹介」

 

このような言説は、初見じゃない。何度か聞いたことがある。その度に本質的じゃないとして却下してきた。みんなそうは言ってるけど実際そうは思ってないだろうと、聞き慣れた定式を実感なく、知ったまま垂れ流しているのだろうと思っていた。インターネットの普及によってサブカルに親和した若い人が、文化圏内で聞き慣れたそれらしい定式を、若い人特有の小汚い同一化願望で糊塗して吐き出しているのだろうと思ってきた。

それがとんだ間違いであるようだった。

気分に沿って音楽の好みが変わるのは、どうもはるかに一般的なことらしい。精神的な状態にそぐうような曲調や歌詞のある曲を聴くと、自分の気持ちを肯定/代弁されたような気になり、そのことによって気持ちよくなるんだって。きっと人々は気持ちよくなるのを求めて好みの傾向が変わるんだろう。共感は癒しだ。十分にわかる。わかるけどなんかキモい、なんかキモい、なんか怖い、怖いって、やめろ、寄ってくんなマジで、わーーーーーーーーー!!!!!

 

 

歌詞に共感できないから歌のある曲をあまり聴かないという人がいて、その人は共感できれば聴くんだろうか。共感できれば聴くというなら、共感によって音楽を利用することができる人だということだろう。

 

待ってほしい、自分が音楽に感情を動かされないと、語りたいわけじゃない。自分は音楽に高揚することができる。それは他の人々と同じだよ。むしろ他の人が眠ってしまうもので泣くこともあるのに。

 

とにかくしゃらくせえんだよ。自分じゃないじゃん。音楽は自分じゃない。人生は歌詞じゃない。

美しくわかりやすく緩急のついた、あんな整ったものたちが自分と同一なわけないし、うるさいし、付き合いきれない、なんでみんなそんな頻繁にyoutubeのリンク貼るの、絶対私と同じ概念見てないだろ、気持ち悪いんだよクソ、軽率に自分の手に入らないからおもしろいんじゃないのかよ、なんでみんな、なんでみんな