ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

今日見た夢の話

私たちは既に死んでいて、階段を全部降りたら、本当の終わりが来る。そう聞かされて、暮れなずむ人々と一緒に、硬い階段を下りていった。最上階では、淡い光が天窓に垂れていた。そしてそれは終わらなかった。私が去った後も、光の印象は絶えず流れている。……

階段は時々直線になるが、全体としては右回りの螺旋状だった。蹴上が高く、踏むところが広く、しかも角が丸く落ちているので、一歩ごとに気をつけないといけない。靴底の融通が効かなくて不自由だった。壁も階段も、病気の肌のような透明な灰色だった。知っている人の背中がいくつか見えるが、それを追い越すことはないし、声をかけることもかけられることもない。他の人は疎らになったり増えたりする。きっと他の人たちにとって私もそうなんだろう。薄暗い壁にはところどころ燭台がある。それに照らされた場所は暖かそうだった。

たまに立ち止まっている人がいる。彼らは上階の方を見ている。私が祈りのように歌うと、思い出したように逆走を始めた。それも一度ではなかった。歌声に羽をのせて。

私は後ろを見ない。そうしようと思わなかった。

下の階に近づくと、見慣れた風景が広がっている。知った顔もいる。そこでやっと他人と話すことができた。私達は何人を救ったか自慢しあった。帰っていく人のために声を出す瞬間がどんなに劇的か語った。体育館に入ると、いくつか顔のわかる下級生がいて、一斉に出てきた。私はあわてて靴箱の陰に避けたが、私がいることには誰も気付かない。ただ体をすり抜けられることはなかった。入り組んだ造りの図書室にも、知った顔がいくつかいたが、そこの蔵書にはあまり知りたくないことが書かれているので、少し立ち話をして去った。彼らはしばらくそこにいるようだった。照明も本棚も黄色かった。

図書館の脇の昇降口から校庭に出て、さらに降りていくと昔住んでいた家に出た。なるほど、最後は一人なんだな。合点した。廊下の少し先に、死んだ祖母がいた。私が生きた瞳で見た、死ぬ少し前と同じように痩せていた。祖母が笑って何か言って、トイレに入った。体が辛そうだった。私たちの最終目的地はこの家の玄関ではなく洗面所の窓だ。そこから晴天の下の草原に、東の空に溶けてゆくのだ。自覚のあと、私はピアノのある部屋に入った。あと少しだから、最後に弾いていこう。生前からそこは防音のために昼間でも暗かった。今でもそうだ。カーテンの隙間から漏れる、別の世界の光を頼りに、知ってる曲をいくつか弾いた。祖母が、自分が死んだら弾いてほしいと言っていた曲を弾いた。おぼつかない指で。祖母も私ももう死んでいると思えばおかしかった。両親がこれを買ってくれてよかった。やっぱりピアノを弾くのは楽しい。掛け値なく楽しい。そういえば祖母はどうしているだろう。トイレから出た音がしないからまだいるんだろう。生前、死ぬ前、抗癌剤をやめて少し経った頃、トイレに一人で行って帰ってくるのが難しかった。もしかして今もまだそうなのか。そうなら私が手伝ったほうがいい。トイレに向かうと、誰もいなかった。廊下のどこにも。祖母の終着地はまた別のところなのかもしれない。私は私で行こう。ほんとに最後は一人なんだな。

と踵を返すと、目が開いて、いつも咲いてるベッドの上にいた。まだ体が薄い気がする。まだ、別のものであるという気がする。家には誰もいなくて、それがよけいに神秘に手を掛けた。今が何時か気になったので、私は身震いし、そういえば腹が減ってることにも気付いてベッドを抜け出した。あの涼しさはもうなかった。