ひざまし見え太郎

たちどころによくなる

文まとめるのもだるいわ 表現行為について

どうも自分は、楽器演奏や詩作その他の作文や描画というのは(つまり嗜んできた芸事は)、生得的な知能(のうちの一部の機能)の高さによる成果を顕示し認められることに意義があると思ってるっぽく、そうならないなら別に……みたいな気持ちがかなりある。

なんで今更そんなことをこねているかというと、理由がいくつかある

まず井の中の蛙的に長いこと地方にいたこと

また思ってたより実用主義的な性格である

実用主義的な性格に実用的な認知機能や衝動制御が伴わなくても、つまり実用主義を実践できないにしても、実用主義的な性格→「別に……」=創作のモチベーション低下 を招く この因果(→)の左の項に値する。

あと欲があまりにも行動に結びつかなすぎる変な性質(これも報酬系がバカであることに回収できるんだろうか)、欲等の感情全般がどうも他人より減退しやすい性質があるっぽいこと

したがって対象物をうけての嫉妬心や対抗心や向上心や感銘がすぐ減退する

 

また思ってたより(世界なんでもそうやけど)学習を積み重ねることでしかレベルの高い成果を出せない、つまり時間と関心を積まないとどうにもならない。生まれてからだいぶ時間が経ってしまったので、特定のジャンルで技術を積んでこなかった自分は機転だけではもういい思いをできない。ならいいやとなる

知能の高さは学習効率であり、それについて自分は良い性質を持っているのだから、今からでは遅いということは決してないが(そもそも今からでは遅いということは芸事に限らず報酬系使って自分を飼い慣らし目標を達成する系の行為全般においてないのだ、ないのが健全な価値観だ)それでも、すぐにいい思いをできないとわかりきっていて、興味がなくなる。報酬遅延に耐えられないんだろう

 

私があまり使われない、独特の意味付けを文で行いがちなのは、それも一部認知機能の低さによって妙な表出をした結果ではないかと思う

頭が悪く、本当に自分がかわいそうでならない